◆カナダ・メープル便り その6「スティーブストンと日系カナダ人」
カナダへ日本から最初に移民して来た人は永野萬蔵という人で、1877年にBC州のNew Westminsterに上陸しました。その後日本領事館がバンクーバーに1889年に設立され現在に至ってます。皆さんの中で”バンクーバーの朝日”という映画をご覧になった方もいると思いますが、現在は青少年野球チームとして再度結成され日本へも遠征試合に行っているようです。
さて今回ご紹介したい所はリッチモンド市内の西南に位置しますスティーブストンです。バンクーバーとリッチモンドは日本の和歌山県と滋賀県からの移民が多く、和歌山から来た人たちはスティーブストンで漁師になり、日系漁業者団体が1897年に設立されてます。滋賀県から来た人はバンクーバーで商売に従事する人が多かったようです。第二次世界大戦が始まり、1941年にはバンクーバー近郊に住む日系人が強制的に収容され、当地に住むことを許されませんでした。すべての土地家屋財産は没収され、バンクーバーにあった日本人街は消滅してしまいました。スティーブストンも同じ運命で、日系カナダ人はすべてを失いました。戦争が終わり、元住んでいた所への帰還も認められるようになりましたが、戻ってきた日系カナダ人はそう多くはありませんでした。それでもリッチモンドにおいては主に和歌山県人会が中心となり和歌山市とリッチモンド市の姉妹都市合意がなされ、今も強い絆で結ばれております。(バンクーバーは横浜市と姉妹都市)
現在のスティーブストンはおしゃれな住宅街と、観光スポットにもなっている漁師波止場があります。さまざまな観光ができ、日本からの観光客も多く訪れております。
左側の写真は波止場の全景で、週末には船着場で漁船から直接魚を、季節にもよりますが、ボタンえび、うに、サーモン、ぎんだら、ビン長マグロ、カレイ、かに等が購入でき、大賑わいとなります。右側の写真は波止場の横にある博物館でサーモンの引き上げの体験をしてる私です。
ここスティ-ブストンには日系文化センターがありその中には柔道・剣道・空手・お茶・お花の道場やクラブがあり、日系・非日系住人でにぎわっております。ヨガのクラスもありますよ。
来月3月には甲南大学柔道部の面々がスティーブストンの道場に来ると聞いております。リッチモンド市長への表敬もあるようです。
(宮内隆良 S53経)
日本航空 バンクーバー支店 営業部 担当部長