会員便り

2019年11月18日 あめりかがえり

あめりかがえり その1 「計画運休」

8年間のアメリカ暮らしを経て、首都圏での生活を再開した。
新しい住まいは横浜。神戸で大学時代を過ごした者としては、親近感を覚える市だ。
さらに駅と自宅の間には大学のキャンパスがあり、通り抜けが自由。
日々すれ違う学生さんを眺めて、昭和の時代、岡本の街をトコトコ歩いていた自分や友人たちのことを懐かしく思い出すことがある。

さて帰国初年、超大型の台風ふたつに見舞われることになった。
各地のたいへんな惨状に心を痛めるにつけ、「100年に一度」「いまだかつて経験したことのないような」と言う警戒のフレーズが決して大げさではなかったことを実感する。

そんな中、8年前の日本には無かったのが鉄道各社の『計画運休』だ。
もちろん先に述べた災害規模の拡大傾向と予測能力の向上があってのことだろう。これ自体が大きな時代の変化だ。

翻ってアメリカでは。

アメリカのスーパーで売っていたカード

私は2012年にニュージャージーの住まいでハリケーンサンディにより、自宅が一週間停電する、という目にあった。
その際『非常事態宣言』が発令され、台風上陸前にニューヨークの地下鉄、近隣鉄道が計画的に運休したのが、当時の私にはとても珍しいことに思えた。
常に世界中からの来訪者で溢れているマンハッタン、タイムズスクエアなど有名な観光スポットが、進入の術を無くして人の姿は無くなり、静かにサンディの襲来に耐えていた。
サンディも高潮による浸水被害は激烈だったが、『計画運休』や『強制避難命令』が功を奏し、災害規模に比しての人的被害は小さかった印象がある。

その後も年に一度か二度、『非常事態宣言』が発令された。もっともアメリカ東海岸では「台風」よりも、冬の「暴風雪」の方が回数は多かった。
嵐の規模によっては、交通機関はもとより、学校、役所、などの公共機関、美術館や劇場も一気にクローズになる。観光でたまたまその時期に当たってしまった方はお気の毒だ、といつも思っていた。
また『非常事態宣言』が発令され、諸々の備えがなされた割には、嵐が海上にそれたり、勢いを失ったり、と空振りになることもあった。乱暴に言えば、三回に一回はほぼ空振り、だったのではないか。

興味深かったのは、日頃自己主張が強く、本当に自分勝手だ、と思うことも多かった現地の人々が、この『空振り』や『計画運休』などの復旧の遅れについては、意外に寛容に見えたことだ。
使わなかった土嚢の片付けは「まあ、大ごとにならなくてよかった」。いったん止まった地下鉄が元通りになるのに、ずいぶん時間がかかるのは「仕方ないねえ」と諦め、臨時休校になった子供をつれて、近所の公園で遊んでいる父親の姿、などを何度も見たように思う。(基本的に、一部の例外を除いて、日本人より「働く」ということの優先度が低い、というのもあるかもしれないが。)

先月台風15号が過ぎたあと、ダイヤがきちんと復旧するまえに多くの人が駅に殺到し、入場制限の駅から日頃よりさらに混んだ電車で、大変な思いをしながら職場に向かっている姿をニュースで見て、日本のシステムは少しずつ変わってきていても、国民性は以前とそう変わらないのかなあ、と感じた。
同時に、早め早めの避難行動をして『空振り』を恐れず、「『空振り』で良かったね」という考え方が一般的であれば、今回避けられた被害もあった、と思う。
その部分は『アメリカ流』を導入するのも良いですよね。
                                                          (鈴木世津子 S60文)