会員便り

2019年11月18日 信州上田四季彩祭

信州上田四季彩祭 その15 「台風19号」

私の自宅は上田駅近くの千曲川沿いにありますが「上田は晴天率が高く、水害とは無縁」という意識がありました。

普段の千曲川の風景です

10月12日台風19号が近付くにつれ雨が激しくなり、千曲川は見る見る内に増水していきました。
午後5時頃には、毎年夏に花火大会が開かれている河川敷は濁流に覆われ、堤防付近まで川幅が広がっていきました。
幸い我が家は被害を免れましたが、周辺では上田電鉄別所線の橋梁が崩落し、「つけば」も流されるなど台風による甚大な被害を受けました。
別所線の赤い橋梁の崩落は全国ニュースで何度も報道されました。別所線沿線には長野大学、上田女子短期大学などがあり、通学や別所温泉への観光客の足も失われてしまいました。
今、昼夜を問わず橋梁の復旧作業が行われていますが、復旧まで上田駅から下之郷駅まで代行バスが運行されています。

上田市立博物館では今年の夏、企画展「上田の水害―江戸時代から防災を考える」が開かれていました。

10月12日午後4時過ぎには河川敷は見えなくなりました

かつて「戌の満水」と呼ばれる水害があり「遠い昔の出来事で、今の私たちには縁のないことのように思われるかもしれないが、過去の災害から学ぶ教訓があるのではないか」というのが企画理由でした。
「戌の満水」は寛保2年(1742年)8月上田地域を襲った台風による史上最大レベルと言われる水害です。寛保2年が壬戌(みずのえいぬ)の年にあたるため被害の大きかった千曲川流域では「戌の満水」と呼んでいます。この台風では千曲川だけではなく埼玉県、栃木県など東日本の20を越す河川で堤防が決壊しました。
企画展では千曲川の増水で上田城の3メートルの石垣の半分が土砂に埋まったという記録もあり、絵図なども展示されていました。川除け普請の様子など当時の人々が水害とどのように闘ったかなどの教訓を資料で後世に残していました。
その企画展に関心を寄せていた人がどれだけあったかは分りませんが、私もその時は「過去の水害」と受け止めていました。

崩落した上田電鉄別所線の橋梁です。復旧作業が行われています

穏やかな流れに戻った千曲川ですが、台風19号では佐久地方から上田、長野市まで各地で千曲川の決壊による甚大な被害が出ています。長野市や中野市などではリンゴや農作物も被害を受け、今もまだ避難生活を余儀なくされている方もおられます。
ボランティアも不足しているため、屋内に溜まった泥などを運び出すのも苦労されています。

気の遠くなるような日々でしょうが、一日も早い復興を祈っています。

                                     (小林良子 S47文)