会員便り

2020年03月10日 会員あの人この人

【甲南出身お笑い作家が、小説「尼崎ストロベリー」を出版】

―成海隼人が小説「尼崎ストロベリー」をリリースー
初めまして、平成14年 法学部卒の成海隼人(なるみ はやと)と申します。開口一番、まずは宣伝させてください!

2019年12月に、小説「尼崎ストロベリー」を幻冬舎から発売させて頂きました。
「がんになった母親を、笑いのチカラで救う」という僕の実体験に基づいて書きあげました尼崎・伊丹・西宮エリアを舞台にした、笑って泣ける青春小説となっております。
現在、「この物語を映像化したい!」という夢にむかって、マネージャーをしてくれている同じく平成14年法学部卒の「岡崎真吾」と二人三脚で頑張っております。

甲南出身者の皆さま、何卒、お力をお貸しください。応援のほどよろしくお願い致します。

 

どういった経緯で、僕が小説をリリースするようになったのか。自分の人生ながら、なかなか珍しいケースだと思いますので、少しお話させてください。
関西人あるあるでしょうが、僕は小さい頃から「お笑い番組」が大好きでした。僕はマザコンでしたから、母親と一緒に漫才ネタ見せ番組をみては、批評を言い合うほどお笑いが好きでした。
大学四回生の頃、まわりの皆が就職活動をする中、僕はお笑い芸人になりたくて、NSC(吉本の芸人養成学校)に入学しようとしていました。そんな折、母親にがんが見つかってしまいました。スキルス胃がんで余命6ヵ月かもしれない―、それが医者の判断でした。
母親に余計な心配をかけたくなかったから、僕はお笑いの夢を諦めました。裕福ではないし、効くといわれる健康食品を試そうにも高額で手が出せないというもどかしい日々。

色々と母親を救う方法を調べているなかで、僕は「笑いでがんを治すナチュラルキラー細胞」と出会いました。これしかないと思いました。
お笑いの舞台に足を運んだり、美しい景色を見に行ったり、笑いの絶えない毎日を過ごすことで、僕の母親は、余命宣告をはるかに超える日々を生き抜きました。奇跡が起こったのです。
「抗がん剤治療が効いたんでしょ?」と周りに言われることもあるのですが、僕は笑いのチカラが奇跡を起こしたと今でも思っています。

母親の闘病や金銭的な面から、お笑い芸人になる夢を諦め、就職していた自分。
緩和ケア病棟に転院し、いよいよ残り少ない余命を予見した母親。
彼女は亡くなる前に僕にこう言いました。

「本当はお笑いに挑戦したかったんやろ? 今からやってみたら?」と。

 

母親とお別れをし、僕は裏方として、笑いの世界に飛び込む決心をし、NSCの構成作家コースへ入学。年齢32歳。働きながら10歳以上離れた同期たちと切磋琢磨する日々を送りました。
そして、落語家の月亭方正(元山崎邦正)氏へ落語の台本を送ったことがきっかけとなり、お笑いの脚本や構成を担当する構成作家の道へ進みました。そこから僕の作家人生が始まります。
小説デビューの際も方正氏に相談し、それから幻冬舎と出会いがあり、小説を出版させていただく運びとなりました。

いくつか作品はもっていたのですが、やはりデビュー作は、この世界に入ることになったキッカケである「笑いとがん、僕とオカンの闘い」をテーマに書こうと思いました。
小説を出版して3か月ほどが過ぎますが、読者の方から「オモシロかった」「笑った」「泣いた」と直接感想をいただけたり、さまざまな形で人との縁が広がっていることが、予期せぬ喜びで本当に感謝しかございません。

あの日に途切れた夢の続きを、僕は今、甲南大学時代の仲間と共に一生懸命に追っかけています。
いつの日か、母親と会ったときに、

「オカンの言うとおりに、お笑いに挑戦して良かったわ」と胸を張って言いたくて。

 

【プロフィール】

平成14年 甲南大学法学部経営法学科卒業。
大学卒業後、学校職員として事務職に従事(勤務社労士として人事労務担当)。
入学願書の志望動機欄に「オカンの遺言」と書き、32歳で吉本興業のNSC構成作家コースの門をたたく。その後、落語家・月亭方正氏と出会い、作家としての道へ進む。
多くの脚本や構成を担当しながら、6代桂文枝が大会委員長をつとめる第8回上方落語台本大賞入賞。2019年12月、幻冬舎から小説「尼崎ストロベリー」をリリース。

■□■□■月亭方正×成海隼人 スペシャル対談■□■□■

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