会員便り

2020年11月10日 あめりかがえり

あめりかがえり その2 「人との関わり」

今年2020年、思いもよらない事態から、それぞれ「ニューノーマル」を探ることになりました。
秋を迎えても「アフターコロナ」とは行かず、当面は「ウィズコロナ」で小さな我慢を続けると同時に、いろいろな局面で発想の転換もしながら過ごしていく必要がありそうです。

そんな中、「あめりかがえり」の私としては、自分の暮らしと向き合うと同時に、折々にかの地で、時に日本より過酷な状況に置かれた多くの友人たちの状況に思いを巡らす日々でした。
幸い、「あめりかぐらし」の同胞の皆さんは総じて強靭な精神力に恵まれていて、(元々、かなりタフでないと生き辛い土地柄です。)加えて、日本人同士、さらには それぞれが属するコミュニティともしっかり連帯して、力強く難局に向き合っていらっしゃるようでした。日米ともに最初の緊急事態宣言が発令されていた頃、ヨーロッパ発のClap Because We Care (拍手で医療関係者たちを称える行為)が CLAP FOR NYC としてニューヨークで賑やかに定着した様子などを見ても、制限のある中でも人との関わりを諦めないのだろうな、と想像していました。

私などは意気地が無くて、外出制限はもちろんのこと、緊急の場合においそれとは日本に帰国できないと言う状況に置かれたら、かなりダメージを受けたに違いありません。親兄弟をはじめ近しい人たちから「日本に戻ってきていてよかった」と言われ、やはりその程度のタフネスだったなあ、と妙に納得しています。

さて。「人との関わり」と言えば、アメリカに居た時に興味深く感じたお国柄の違いがあります。今日はそれを紹介させてください。

子供に物心がついて社会性が芽生えてきた頃に公衆道徳などを教える時、日本では
「人の迷惑にならないようにしなさい」と言うのが決まり文句ですよね。これは私たちが社会生活でその後綿々と唱える呪文ではないでしょうか。「人」いえ、「ひとさま」のご迷惑にならないように~、と注意して振舞うことは、私たちの基本動作になっていると思います。同時に、人の迷惑になっている(と、自分が感じた)モノコトについて憤慨して非難する事などもあるのではないでしょうか。今年話題になった「自粛警察」なども、「人の迷惑になっているヒト」を取り締まる、という感覚ではないかと推測します。

対してアメリカでは、子供にどのように伝えていると思いますか。
それはおそらく「困っている人がいたら、助けてあげよう」というフレーズです。
これによって、子供たちは前向きなカタチで人と関わることを学んでいくようです。

ただアメリカの子供たちは、ある程度の年齢(小学校卒業位)までは保護者付き添い(ほぼ自家用車)で、通学や塾通い、友達付き合いなどの日常の移動を行っています。ですからニューヨークの街中などで実際に子供と接触する機会は実はあまり多くありません。ベビーカーに乗った幼児か、観光中の家族連れを見るくらいです。もちろん公園では多くの子供たちが親やベビーシッターさんが見守る中で元気に遊んでいますが。

それはともあれ。ふたつの言い方に現れる考え方の違いは、日米の特徴をよく表している、と思います。

「人の迷惑にならないこと」は、何事も失敗しないように慎重に行動することをよしとする私たち日本人には馴染みが良いです。

対して「困っている人を助けてあげる」のは、日頃、自分も他人もある程度(以上?)失敗することはあたりまえ、と考えているアメリカでは、日本よりもはるかにハードルが低くて、日常的な行為です。席を譲ったり、道案内をしたり、スーパーで両手にいっぱい荷物を抱えている人に空のレジカゴを渡してあげる、など、ちょっとした親切をしたり、して貰ったりを本当に気軽に行っています。
同時に、教えた道が間違っていたり、わざわざ荷物を持ってくれた人がそれを落としたり、ということがよく起こるのが「アメリカあるある」です。でもそこは、なんせお互い失敗することが前提、の人たち同士ですから、寛容に許されるし、失敗した方もそんなに恐縮するわけでもありません。

翻って「人の迷惑にならない」と言うのは、どうでしょうか。慎み深かったり、生真面目であったり、なにより自らを律する感じが日本人の気性に合うのだとは思いますが、実際のところ、人が生きていく上で、誰の迷惑にもならない、ということは不可能でしょう。
「自分は、一切人の迷惑にはなっていない」と考える人がいるとしたら、それはある意味不遜、だとも感じます。

もちろん、「人に迷惑をかけること」イコール「人に助けられること」ではありません。また、迷惑にも失敗にも程度と言うものがあります。
それでも、思わず買いすぎたリンゴやカボチャの袋をバス停まで持ってもらって、素直にありがとう、と言えた時、また逆方向に歩いていた人に駅までの正しい道を教えて差し上げることが出来、盛大に感謝されたりするのは、なかなか気分が良いものです。

ウイルス対策のため物理的に生じた「人との関わり」へのためらいが、私たちの気持ちにも大きく影響を与えている昨今、同窓の皆さまの中には、「人さまのご迷惑にならないように」と日々無意識にも気をつかっていらっしゃる方もおいでかな、と思います。どうぞお大切にお過ごしください。

( 鈴木世津子 S60文 )

「冴え冴えとしたマンハッタンの夜景」