会員便り

2021年10月17日 あめりかがえり

あめりかがえり その3 「A氏の話」

ニューヨークの秋は黄金色

アメリカ滞在中、2014年の秋のことだ。

夕方のニュージャージー、隣町から自宅に帰るバス停で私はある男性に話しかけられた。名前をA氏としよう。

私が持っていたパン屋の袋を見て、「それはこのあたりで買えるのか」と、知らない人にも訊ねる、アメリカでよくある会話の始まりだった。たどたどしく答える私は「Are you Japanese ?」と聞かれた。そうだ、と答えると、A氏はにっこりと「コンニチハ」と言い、日本語を一生懸命勉強した時期がある、いまはかなり忘れてしまったけれど、と言った。

40代半ばだろうか、中東の出身と思われる浅黒い肌でバックパックを背負ったA氏は、IT関係の仕事をしている、と言った。そして一緒にバスを待ち、さらにバスに乗ってから、彼と日本語についての話を聞かせてくれたのだった。

「私が今あるのは、日本語のおかげだ、と言っていい。本当に感謝しているんだ。」

ある仕事で大きな成果を挙げた後、心身とも燃え尽きたような状態に陥ったことがあった。休暇を取ったらいい、と上司に勧められ、旅行に行ったが、身体がリラックスしても頭が休めていない、そんな気持ちに悩まされた。

その状態から抜け出すために、何か夢中になれるものを見つけよう、そうだ、知らない外国語を勉強してみようと思い立ち、いくつかの言語を試したが、残念ながらどれも母語との共通項があったり、聞き覚えがあったりして、熱中する気分にはなれなかった。
そんな時出会ったのが、日本語だった。日本語は今まで触れた、どのコトバとも異なっていた。まさに全く知らない外国語、だったのだ。あっという間に学ぶことに没頭していった。学んでも学んでも容易に理解できたり、話せるようにはならなかったが、その難解さが、望み通り「夢中になって取り組む」ことを促してくれた。そして、教材本をいくつか読破する頃には、自分の頭と心がすっかりリラックスして、また新しいことに挑戦しよう、という気力が戻ってきたことに気がついた。

「日本語の、外来語を短縮してくっつける習慣に興味があるんだ、トレパンとか、イメチェンとか」と楽しそうに教えてくれたのは、A氏が降りるバス停の直前だった。

「本当に日本語は難しい。そして素晴らしい言葉だ。日本語が自分を救ってくれたことを日本人の貴女に話す事ができてよかった。」

そう言って、急いでバスを降りるA氏の後ろ姿を見送りながら、私は大いに心を動かされていた。同時にこれだけの内容を私にわかる英語で話してくれていたことに驚いた。それはひとえに彼の高い言語センスによるものだったのだろう。
日々英語に苦労していた私に、「あんなに難しい日本語を使っている日本人はみなすごい」と思いやりのある言葉を残してくれたA氏。残念ながら再びバスで乗り合わせることはなかった。

                                                            (鈴木世津子 S60文)